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Tachikawa Church of Christ

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「キリストの教会」の歴史

「キリストの教会」の歴史」

1865年に南北戦争が終結した後の米国では、北部の経済的な隆盛をよそに南部では貧困、伝染病等による苦境にあえいでいました。その時期にストーン=キャンベル運動(註)に連なる諸教会の南部における主要なリーダーであったデイビッド・リプスコムは、平和主義を説き、神の国に対峙する現世の政治権力との関わりを否定し、貧者救済に携わり、教会内の教職制度を否定し、質素な生活をするように訴えました(こうした特徴は宗教改革期のアナバプテスト信仰に似ていました)。
 リプスコム等を中心とする群れは1906年の米国国勢調査において「キリストの教会」として登録され、ストーン=キャンベル運動の中でもよりアメリカ社会に迎合的であった他の諸教会と別個の歩みをスタートさせました。

 第一次世界大戦以降、「キリストの教会」は徐々にアメリカにおける社会的な地位を向上させていきます。個人伝道や全米対象のマスメディア伝道も盛んになり、1950年代には教派別の統計で全米一とも言われる速度で急速に量的成長を遂げた時期もありました。

 1960年代にアメリカで起こった様々な新しい動きに触発された「キリストの教会」は、やがて律法主義的・排他主義的傾向を克服していくようになります。1990年代以降、『たいせつなきみ』で有名な作家のマックス・ルケードに代表されるように、保守的な福音派との連携をとる「キリストの教会」メンバーが増加しています。
 一方、学問の分野では新約学のA.マルハービ(エール神学校)、旧約学のJ.J.M.ロバーツ(プリンストン神学校)、教会史のE.ファーガソン(ACU神学校)等、リベラル・主流派の学界で活躍する学者が多く登場しています。

 2008年現在、「キリストの教会」の会員数は全世界で約300万人と推定されています。そのうちの約130万人を占める米国の「キリストの教会」は、ポストモダンの時代背景もあり教理や実践が多様化しつつあります。

(註)ストーン=キャンベル運動:
19世紀後半のアメリカにおいて教派間対立を危惧し、新約聖書のビジョンを回復することで全キリスト者が一致することを訴えた長老派出身のバートン・W・ストーンやアレキサンダー・キャンベルが始めた改革運動がストーン=キャンベル(回復)運動です。


日本における「キリストの教会」

ストーン=キャンベル運動の諸教会から最初に日本に宣教師が派遣されたのは1883年(明治16年)のことで、この宣教により日本でのディサイプルス派が形成されました。日本に於ける「キリストの教会」の基礎を築いたのは、1892年(明治25年)に来日し東京の雑司ヶ谷を拠点に宣教活動をしたJ.M.マッケーレブでした。やがて、女性宣教師のS.アンドリュース(主に静岡で活動)やO.D.ビックスラー宣教師夫妻(戦前は茨城、戦後は東京で活動)など、第二次世界大戦前に約40名の宣教師が米国から派遣されて20ほどの教会が設立され、平塚勇之介、繁國良八等の日本人伝道者が誕生しましたが、戦争を期に多くの教会が消滅しています。

 第二次世界大戦後、茨城県日立市に茨城キリスト教学園が設立され、ハリー・ファックス,Jr.とその弟ローガン(現・日立市名誉市民)、J.キャノン等、多数の教師兼宣教師が米国から派遣され、日本全体のキリスト教ブームもあって多くの教会が設立されました。また、福祉施設ナザレ園(茨城県那珂市)等の社会事業設立にも会員が携わりました。

 2008年現在、日本全国に約60教会、計約1,000人の会員を有する群れになっており、全国規模の連絡誌として『福音』誌が、全国規模の集会として春と秋の合同礼拝、夏期修養会があります。その他、日立クリスチャン・キャンプ場(茨城県日立市)、神学校である伝道学院(東京都立川市)を有しています。



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